2013年5月7日火曜日

2013年5月4日、父が他界しました。その日。

昭和11年1月10日生まれの父が、満77歳で平成25年5月4日、他界しました。
父を見送る記録をつけていこうと思います。

じぶんたちも不慣れなことが多いので、参考になればと。

5月4日
未明 死亡確認(当直医)
父の耳元ではMOZARTのCDがかかっていた。

入院先で着替え、清拭
死亡診断書を受け取る。

遺族で葬儀社を選んで連絡(あらかじめ決めていなかった)
タブレット端末が活躍
喪主・母の家から近いところに決める。

4:30ごろ 遺体を運ぶ車が到着
早朝 遺体とともに葬儀社到着。遺族はタクシーなど
朝食 コンビニで購入 徒歩数分のところにあった

7:30 葬儀社担当者と通夜や葬儀の日程打ち合わせ、菩提寺への連絡(葬儀社が代行)
菩提寺の名前もうろ覚えだったので焦る。
葬儀の内容、金額、どこまで本人や喪主や遺族の意向を汲むか…
喪主は混乱しやすく決めにくい。
翌朝までに、通夜や葬儀で使う遺影写真やメモリアル用の写真用意(15枚くらい)
着せたい服はないか。棺に入れたいものはないか。

遺族が控え室にずっと詰めているため交代で自宅へ帰る
妹とお布施の金額についてネットで検索する。曹洞宗。
危篤連絡くらいから、寝ていない、いちばんのショックなこと(死亡確認)、初めてのこと(葬儀の段取り)、初めての場所が続くので消耗が激しい。

母をいったん家に帰すが、母は喪主で、自宅に「祭壇」をつくるため、葬儀社のひとが昼過ぎに自宅へ来ることに。家を片付けなくてはとプチパニック。
容態が悪い父を見舞っていたので、家のことは後回しであった。

予定15時→16時ごろ 枕経
父の同級生の馴染みの和尚さんなので、ひとあんしん。だみ声のお経を聴くと、父が旅立ちの支度を始めたことがわかる。このあたりで、やっと見送るという心構えがはっきりしてくる。
お車代を渡す。
どういう封筒(種類)、封筒の宛名などの書き方(表書き)、渡し方などを調べる。

この日は、喪主母が宿泊し、こどもは帰宅
控え室がきれいなビジネスホテルのようになっていて、宿泊用にしっかりしたベッドが3台あり、料金を取られなかったのは助かった。アメニティもトイレ浴室もけっこうキレイで広かった。担当のひとも基本おなじひとが対応してくれるのも心強い。

隣の部屋で60代男性の葬儀がおこなわれており、親戚や会社関係のかたで大人数だったけど、控え室が離れていたので静かに過ごせた。

病院は家族の控え室などがなく、状態が悪くなった最期のころは、近親者は精神面だけでなく、詰めていることや自宅往復などで身体的にも疲弊しきっているので、控え室がゆったりできたことは非常に有り難かった。

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